ようやくの雨の後... - 2010.06.09 Wed
昨夜からパラパラと降り始めた雨
午前まで続き、午後にはお日様が射し始め 少しだけお庭へ
ユリが ポツポツと咲き始めています。
何もお手入れしてないけど 毎年咲いてくれる…
そういう点ではチューリップより手のかからない球根です。
ただ...
太い茎があちこちから顔を出し、咲くまでは少々邪魔(^-^;
植えっぱなしでOKだけど、今年は掘り上げて植え場所変えようかと検討中...(-_-;)
黒に近い... こんなユリも。 品種はどちらも 分からなくなってます(笑
これらのユリが終わると 次に花咲かせるのは’カサブランカ’
こっそりと隠れたところで咲き始めたのは... ‘ロココ’
無理やり撮ったので 上手に撮れていません(^-^;
おちょぼ口の蕾も...
うう... 可愛い...
固く閉じた蕾は まだ汚れ知らず...といった... あっ!虫がいる!(-_-;)
プロスペリティは うどん粉に罹りながらも 花咲かせ...
クィーンエリザベスは 不調で冬の剪定で 少し深く切り詰めました。
だからかな... ようやくの開花です。
半日陰の場所で咲いていたので、開花に気付くのが遅れました(^-^;
今日気付いたこと。
人それぞれ好みが違いますが 私は どうやら
バラの場合 しべがあまり見えない子や 見えない花姿が好み・・ みたい。
〜 カフェ 〜
しべが見えると どうも... 椿のイメージが沸き 椿=和の趣 と脳で連鎖します。
しべが見えるバラを 好む方、 私のようにしべが見えない方が好みの方
十人十色 人の好みは さまざまですね〜
イングリッシュガーデンも 咲いています〜
やはり しべは あまり見えていません(笑
マダム・フィガロ 昨夜からの小雨で 少々花が傷んでしまいました。
残す蕾は あと一つ 二つ...
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親友の定義 - 2010.06.09 Wed

小学生の頃、気が付くとグループの中心人物になっていた。
いつも自分の周りには、友達がいて...いわゆる‘しきり屋さん’のような位置。
修学旅行の時、別グループのリーダ的存在のある女の子に
「結局ここでも、○○ちゃん(私)が頭領か…」と言われ嫌な思いをした。
一人っ子だった私はとても寂しがりやで、友人に囲まれているのがとても心地よかったのだが
その頃から、中心人物でいたくない と思うようになったように思う。
中学生ぐらいから、女の子は少人数で行動するようになる。
親友と呼べる人数は2.3人に絞られてくる。
親に話せないようなことも、親友になら話すことができる、信頼できる友人。
高校や大学、専門学校では信頼できる人と社交的にそつなく付き合う友人と分け始める。
社交的に付き合うことが、社会で生きていくうえで大切な事でもある事を学び始める。
学業を終え、就職し、社会人となると好き嫌い関係なく職場では付き合っていかなくてはいけなくなる。
もちろん、職場で親友と呼べる人との出会いがあれば、それが望ましい。
が、私の場合、学生時代の親友ほど職場では信頼できる友人には巡り合わなかった。

そして、結婚。
既婚後、妻となり母となり社会から離れての生活となると出会いは
子供を通じての母親同士の付き合いが主となってくる。
個人としての○○さんではなく、○○くんのお母さん…としての付き合い。
お互い家族もあり、話す内容、自分の言動はすべて夫にも影響する。
そうなると、当たり障りのないような話しかできなくなる。(ような気がする)
学生時代のように、開けっぴろげな話はなかなかできない。
学生時代の友人もそれぞれ、結婚のタイミングや子供の年齢、生活もさまざまで
それにより、連絡を取り合って会っていたのは結婚後何年までだっただろう...。
そんな中、私は偶然一人の友人と出逢った。
その友人とは、当時スーパー銭湯に行くのがマイブームで‘サウナ’目当てに毎日のように行き
そこで出会った友人だ。
後になって、長男同士が同い年で同じ小学校。 しかも住まいもごく近所だという事を知る。
出会いが子供を通してではなく、また夫同士も関係なく、個人として出会ったためか
意気投合してからはみるみるうちに親交が深まり、その後は
子供同士も、そして家族ぐるみで交流したりしながら、かれこれもう10年ぐらい友情が続いている。
その彼女には、何でも話せる。
学生時代のように、開けっぴろげに本音で話せる。
時には眉にしわを寄せたくなるような話もあったかもしれないが、彼女は聞いてくれるし
率直な意見を述べてくれる。

彼女が一度、重い病気になり急遽入院したことがあった。
私は毎日、彼女の病室に行った。
今日は忙しくて...という日は暗くなってからでも病室に会いに行った。
入院している間はずっと。
辛いことがあれば、何でも力になりたいと思う。 できることとできないことはあるとは思うが
彼女の辛い顔は見たくないし、彼女の幸せは心から願う。
友人とは...或いは親友とは...
多少の犠牲を払ってでも、その友人のために動ける人、だと思う。
相手のマイナスな部分も理解できる人、またはそこまでも含めてその人を認めることができる人
性格や育った環境、いろいろと違うことはあっても...。
それが親友だと最近思った。 そんな人はそうたくさんはいない。
学生時代、親友だった友人も、今はそこまでの友人だろうか...とふと考えた。
既婚後、一時期アルバイトでスイミングに勤めたことがある。
そのインストラクター仲間に
「○○さん(私)って、すっごい打ち解けて心開いてるように見えるけど実は、壁があって
その壁をなっかなか低くしてくれないよね」っと
ズバっと言われハっとしたことがある。
そうなのだ。
私はそつなく友人として付き合っててもなかなか壁を取っ払っていなかったりする。

性格的なものもあるとは思うが…
広く浅く社交的に友人がたくさんいる、というのもそれはそれでステキな事だと思う。
ただ私の場合、そつなくお付き合いはできるものの
社交的とは決して言いがたい性格なためか
‘広く浅く多い友人’ より ‘狭いが深く話せる少数の友人’ の方になっている。
何でも話せる相手だった友人と、今でも電話で話したりはするが
何でも全て話したりはしていない。
何でも話す友人は、気付けば私にはたった一人となっている。
近所に住んでいる彼女だ。
それでも、全てを話せる友人がいることが、私にはとっても幸せな事に思う。
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